Stagebook MAGAGINE

舞台・演劇情報「Stagebook MAGAGINE」

朝日美陽

女性として生きること。表現者としての朝日美陽。

朝日美陽(アサヒミハル)

1996年8月12日、千葉生まれ。PuR global entertainment所属、日本大学藝術学部演劇学科演技コース4年生。
Twitter : @miharuasahi

 

JAZZダンス、そして演劇との出会い。

 

ー 演劇をやるキッカケっていうのは?

すごい幼少期までそれこそ産まれた時まで遡るんですけど、私の母が女優で、父が演出家っていう環境で育って・・・。絶対に子役はさせない、公務員にさせるみたいな、そんな環境でした。中学受験もしましたし、そんな家庭だったんですけど、やっぱり家にいたら、そうゆう話(お芝居とかの話)になるじゃないですか。でもダンスだけはやって良いよって。で、5歳からずっとJAZZダンスをやっていて、それが私のルーツなんです。そこから舞台で表現するっていうことがずっと好きだったし、テレビっ子、映画っ子なので、親と一緒に見続けてたんですよ。それから中学卒業して、高校に入った時に、人間関係がうまくいかなくて。その時、オーディションの雑誌あるじゃないですか。それを買って見てるのを母が知ってて。普通の高校でクラスに馴染めないとかあるんだったら、自分の好きなことやってみれば?って。アンフェアとかの脚本家で秦 建日子(はた たけひこ)さんっていう方がいらっしゃるんですけど、その方の養成ワークショップみたいなのがあって。それ(ワークショップ)通って、その後に公演を一度やって、そこの事務所にもしかしたら入れますよ!みたいなのがオーディション一面にあったんです。で、これ受けたいってお母さんに言って、お金出していただいて、ワークショップ入って。それが、「演劇」のスタートだったんです。

朝日美陽

 

ー 最初は、ダンス一筋だったんですね。

そうなんです。私のやってるJAZZダンスは特に、シアタージャズっていう昔の古いジャズで、ハット被って、スーツ着てっていう。鏡があるのは当然で、どこから見られててもカッコいいっていうのをずっと作ってたので、お芝居ってなると、そこで生きることで他になにか客観視する鏡が何もないって世界で、演劇は出来上がってるんだなってそこで初めて知って。だから最初は殻を破るっていうことがすごく難しかったです。母は舞台をやってたんですけど映像もずっとやってたので、私もは後々には映像もやりたくて。で、映像を目指す上で演劇の表現て大きいじゃないですか、想像していたものと全然違うものだったから。秦さんが「大きいものを小さくすることは出来るけど、小さいものを大きくするのはとても難しい。だから、今のうちに小さいものを大きくするのではなく、大きいものを小さくするっていう過程を踏んだ方がいいよ。」って言われて、それから演劇頑張ろうって思ったんです。
大学受験の頃に(母に)こっちの道に進みたいって伝えたら、日芸行ったらいいよ。むしろ、日芸以外は許さないみたいな。秦さんが本当めちゃくちゃ厳しく言う演出家さんだったんですけど、「君は二の線じゃ無理だよ。アイドルとかヒロインタイプじゃないんだよ。」って言われたので、17歳の時点でもう月9のヒロインは諦めたんですよ。あ、私無理なんだ・・・って。ってことは、それ以外のものを得なければいけないっていうことを自覚して、そうゆう時に母の話とかを聞いてるなかで日芸にいく、そのなかで得るものって、例えば文学座とか、青年座っていうカラーに染まったりとか、例えばタレントの養成所とかに行って、そこのタレントとしてのカラーに染まるよりは、可能性を広げて自分で見つけていく手段ありだなって。それで日芸を選んだんですよね。

 

ー 日芸では何コースを?

演劇学科の演技コースです。

 

ー 超難関コースですね!

そう、私なんで受かったのか分からなくて。笑 なんかテスト勉強でどうにかなるかもって言われてたんですけど、そんなでもなくて、テスト・・・、自己採点が・・・。試験の時に、エチュードって、4つのセリフしか使っちゃいけない、4つだけ!「落ちましたよ。」とか「あの?」とか「暑いですね。」とか、それだけしか使っちゃいけない。「お芝居してください。ここは駅のホームです。電車待ってるのに来ませんってなかで自分でキャラクターを作って、お芝居してください。」って試験だったんですよ。いきなり言われて、しかも一番目だったんですよ、試験の順番が。考える余地ないじゃないですか。で、おばあちゃんを始めたら、もう1人の受験生がおじいちゃんで来たんですよ。で、カブった!って思って、そことはコミュニケーション取らないようにしようって。他にもいろんなことしてたら、試験官の先生で、今になってはすごくお世話になってる先生なんですけど、すごい笑ってくださって・・・。っていうのだけは覚えてます。だから、なんで受かったのか分からないんですよね。笑

朝日美陽

 

衝撃的な経験もした。

 

ー 日芸のキャンパスライフってどんな雰囲気?

まず、私は映像とかそうゆうところから来たんですけど、演劇学科の中に、高校の演劇部から上がってくる子たちがいるわけですよ。だから、まずそこでギャップを感じるし、お芝居の質もそれぞれ違うし、志もみんなそれぞれ違う。演劇の先生になりたい人もいるわけだし。その中で、まぁ一番最初に描いていた日芸ライフではなかったです。1、2年生は所沢校舎って埼玉の奥にあるんですけど、ほんと周り畑しかなくて、所沢駅行って、そこからバスで更に20分くらいで。だから、そこで一人暮らしを始めて、ずっと演劇しかせずに。
文学座の先生とか、いろんなところから先生はいらっしゃるので、いろんなことを学べるんですけど、一番最初にやった演劇が、二人芝居で実習でやるんですけど、それが二人とも死ぬんですよね。清水邦夫さんの作品で、足を撃たれてびっこになってる女を、一年の19歳の時にやらなくちゃいけなくて。それをやったのが、人生で一番最初の衝撃的な演技の内容で、それをやってからは、それこそ高校生のとき、秦さんのときは、演技を大きくするってことだったけど、これから質・中身を身につけていこうっていう。サブテキストっていう、台詞の裏側を読むっていうことを永遠とやっていて、どれだけ銃で撃たれて痛いのかっていうのを考え続けたら夜も眠れないし、ほんとに痛くなるように自分の足を殴り続けてる女の子もいました。おっきなアザを作ってた女の子もいたし。みんな一年生だから、がむしゃらにやることやるしかなくて、いろんなことしたんですよ。で、清水邦夫さんのやった後に、シェイクスピアをやりました。「夏の夜の夢」だったり、「ロミオとジュリエット」だったり、いろんな作品をやって、新劇って呼ばれるジャンル、お芝居をやる上で一度はやっておかなくちゃいけないものだと思うから。やれてよかったなって思う。そこは絶対やるべきですよね。台詞もめちゃめちゃ長いんですけど、死んじゃいそうなんですけどね。でもやった後には達成感があるのと、古い時代の、なんていうんですか、暗くなったら照明もなくて、音しか聞こえない中で演劇していた時代なんですよ、シェイクスピアって。だから、台詞で全部を語るんですよね。それを一辺倒に聞こえないようにというか、それを物語と持って自分の意思でお客さんに届けないといけないっていうのを学んだのは新劇だったなって思います。
私がこれから卒業して、秦さんに言われたように二の線ではないから、これからジュリエットをやることとか、オフィーリアをやることとかは人生でもうないと思うんですよ。あるかもしれないけど、可能性は少ない。その中でやっぱりそうゆうヒロインという役の気持ち考えて、演じることをさせてくれた日芸の授業は私にとってとても大事なものになりました。

 

ー 生半可な気持ちでは生きれない世界ですね。

そうですね。時代が違うんで、私たちが持ってるもの以上のもの、なんていうんだろう。女性として抱えるものも大きいですし、人間として抱えるものも大きいですし、やっぱり時代が進むにつれて便利な世の中になってる私たちが、その時代の人たちのことを考えられなくなってる。それって演技する上で駄目なんですよ。だからどの時代で生きてても、やはりこの時代の女性を生きて演じられる、役者になるためには必要な訓練だったなって思います。

朝日美陽

 

表現者として、女性として。

 

ー 見られる仕事をしていて、普段プライベートではどう変わりますか?

常に見られることを意識しますね。私、20歳の時に事務所に入ったんですけど、それで感覚とか意識も変わったし、色々巡り巡って、セルフプロデュースっていうものが変わっていってるなって思います。入りたての頃とか、ほんとコンプレックスの塊というか・・・。基本、こんな感じ(自由気ままな感じ)だし、年上の方とお話することもすごい好きだし、楽しくはやってるんですけど、すごくコンプレックスの塊で自分のことをどうやったらうまく魅せれるんだろうって、もう他の人がよく見えてしょうがないんです。事務所にも自分を磨きなさいって言われて、ストイックになりすぎて体調崩した時もあったんですよ。いま私ができる仕事って、私に合う役とかに巡り会える訳ではないじゃないですか。いろんな女の子の中の一人だったりするわけで。そこで色を出さない自分でいるっていうのを頑張りすぎて、個性がどんどん私自身がなくなってきちゃって。その時にまた秦さんの言葉を思い出して、私ニの線じゃないし、私の持っているものでこれからやっていかないといけないって日芸に演技をやったのに、事務所に入ったそのタイミングでなんかちょっと考えがわかったというか。違う方向になっちゃったなって。これはいかん、私らしくないぞって。私は私で、その個性として生きていかなくちゃいけないし、表現者として表現していかなくちゃいけないし。もちろん仕事をいただく上でいろんな役があって、そこに自分を当てはめなくちゃいけないっていうのが役者なんですけど、いろんな役者がいて、どんな役者がやっても、そのひとの色って半分出ると思うんですよね。同じ役をいろんな人が演じるから、いろんな見え方になるから、それを大切した表現者にならないといけないなってことをやっと思い出したなって思う。

朝日美陽

 

自分との一つの区切りとして世に残したい。

 

ー なんで今回の単独公演をすることに?

お話しをいただいたっていうのはあるんですけど、企画として美陽やってみない?って。
こんな小屋があって、こうゆう喫茶店でこうゆうスペースがあって、美陽にすごい雰囲気があってると思う。誰か呼んでもいいし、なんでもいいからやってみない?って言われたのがキッカケだったんです。ただ、大学4年生になって、ある意味自分の作品を残したいっていう気持ちはあったし、プライベートでも恋愛をしたりとか、私にとって大切な祖母が亡くなったりとか、いろんなことがこの4年間にあったんですね。その中で私の好きなアーティストで小袋成彬くんって方がいるんですけど、その方のアルバムの一番初めの曲にも残ってるんですけど、芸術をやる人ってある節目に一つの作品を世に残していく、そこで自分に区切りをつけていく、っていうのを聞いた時にこれだなって思って。大きな恋愛を一つ終えて、大学を卒業する、そして祖母と別れて、社会人になっていく、って時に私の一つの区切りとして、すごく小さい小屋ですし、30分間の公演なんですけど、いままで表現者として学んできて、形として残したいなって思って、今回引き受けたというか、やりたいと伝えたんです。

朝日美陽

 

ー 卒業後の今後の予定は?

今後はすごくまだ迷っているけど、このまま表現者として、女優として続けて生きたいなって思ってます。それはもちろんなんですけど。ダンサーが例えば表現する時って、その人自身をやるんですよ。でも役者ってその人自身ではない。って考えると、自分の中ではまだ違和感は残ってます、まだ。私って役者なのかなって今でも思うことがあるし、他の人にも言われたことがあります。私にしかできないこと、私っていう表現者にしかできないことをやりたい。役者になりたいとか、モデルになりたいとかではなくて、ただこんなお仕事してみたいとかはありますけど、踊りはやりたいし、一番やりたいのは映画だし、とか。でも、いち表現者として、生きていきたいし、今回の単独公演のテーマでもあるんですけど、女性として生きること、卒論とかもLGBTQで書くんですけど、周りにいわゆるマイノリティの方が多くて、性のことを考えることが最近増えてきたから。私がこれから女性として生きていくっていう根本、まずは自分でしっかり噛み砕いて、信念を持って強く。ま、弱くてもいいと思うんですけど、弱くても生きていくってことを念頭に表現者として生きていこうと。だから、女性であるってことが今の私のテーマなんです。恋愛をして、結婚して、子供産まれてとかいろんな生き方があると思うんですけど、私は女性だけどこうやって生きていくっていうことをこの人生で形付けたい。すごく強い女性に囲まれて生きてきたんですけど、祖母もすごい波乱万丈な方だったんですけど・・・。女性の役者で生きていくってすごい大変なことだし。それを最近すごく考えるので。
いまはどうなりたいとかではなくて、まずは自分をしっかり生きる。自分を生きて、それを表現する。そうゆう表現をする場所が日本にもっとあればいいなと思うし。女の子の可愛いってこうゆうものとか、女の子の綺麗ってこうゆうものって形付けるんじゃなくて、いろんな女性がいて、いろんな体型がいて、いろんな顔つきがいて、いろんな性格、いろんな性的嗜好がいる中で、その個人の個を持って実のある人間として、人生を歩みたいと思います。

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普段、私たちのように演技とは少し違う世界で生活をしていると生きるという「生」について考えることはあまりないかもしれない。ただ、彼女にとって、女性として「生きる」ということ、表現者として生きることに対しての信念がひしひしと伝わってくるものがあり、お話しをいただいて、「生」に気付かされることも多い。観る側からの演劇の魅力はやはりそんなところにもあるんだなとまた思い知らされた一日でした。

取材・文:尾中力也
撮影:川端一生

朝日美陽 単独公演 「La Femme」

日程
10月21日(金) 19:30(20:00〜)

出演
朝日美陽

演出
朝倉泰臣

場所
喫茶茶会記
〒160-0015 東京都新宿区大京町2−4